古筝(コソウ)

1、楽器紹介
箏の共鳴箱は木製、長方形で、弦が胴板の上に張られ、これまで各地でよく使われていた箏は、絲弦あるいは銅絲弦を張り、弦の数は12、13、15あるいは16本で、弦の長さと音の高さは柱といわれる小さな柱を使って調節するようになっている。普通は「ミ、ファ、ラ、シ、ド」の5音で構成される。改造後の箏は、鋼絲弦を張り始め(楽曲の必要から絲弦を張っているものもまだある)、弦の数を増やし、19、21、25、26本を張るものも現われ、そして手や足でコントロールする調子調節の装置がつけられているものもある。改造後の箏は、音域がさらに広くなり、音量が大きくなり、調子も調節しやすく、表現力も豊かになっている。箏は独奏、伴奏および器楽合奏に用いられる。

箏の音色は清らかで明るく、しなやかで美しく、メロディーには抑揚があり、華麗でなめらかさに富み、特に左手の押音、顫音の技巧が重視される。在来の箏は主に民間声楽の伴奏(主に講談音楽)や地方音楽の合奏(中国南北の弦索楽と細楽)に用いられる。声楽の伴奏と地方音楽演奏を基礎として各地の異なった演奏風格を特徴とする箏演奏楽曲が多数創作されている。

2、名曲紹介
①高山流水(試聴
中国の南にある山水の風景を表す曲です。高い山の中に、川が流れて、その水はある時はゆるやか、ある時は急に流れる。生き生きの山水画が見えるような曲です.試聴
②雪山春暁(試聴
チベットの民謡をもとに、笵上成、格桑遼素両氏により作曲されて、抒情的現在古筝の名曲。G調カデンツァの導入部から、愛らしいテ-マのウァリエ-ションが次々と登場し、親しみやすい情景を連想させるが、技巧的にはかなり多様なテニックを要する側面を持つ曲でもある。厳寒の雪山に春が訪れ、雪が解け、川となって流れて行き、山野に花が咲き、動物たちもみんな動きだし、ねむっていたかのように見えたこの世の万物が再び蘇生する情景が、一幅の山水画を見るような瑞瑞しさで表現されている。
③ 銀河碧波(試聴
中国の農村ののどかな風景を描いた曲。太陽の光でキラキラと美しい輝きを放つ川の流れ、そのまわりにまるで絵画のような山々と緑がおりなす景色が広がっています。そして、そこで暮らす人々の穏やかな日々を表現した作品です。

④香山射鼓(シャンシャンシューグー)試聴
西安鼓樂から編曲したもので、胸に秘めた深い憂いを押し隠しつつ、華やかに舞う宮女の複雑な心情を描き出す。
⑤ 出水蓮(チューシュエイリェン  試聴

 

睡蓮の清らかなたたずまいを連想される客家筝曲。
⑥さくら変奏曲
この曲は、日本の名曲「さくらさくら」を、中国の古筝の作曲家が独奏曲に編曲したもので、古筝の音色を十分に生かした名曲である。 この曲を中国の21弦古筝で演奏すると、日本のものとは大きく異なります。その味わいをお楽しみください。
⑦寒鴇戯水
寒鴇とは、鴉鳥である。楽しい史リズムと美しいメロディーで、鴉鳥たちが寒さの中で水浴びをしている様子を表現している。中国南方、潮州派の古筝の曲の中で最も意味深い、曲調は斬新で味わいの深い曲である。
⑧月儿高 (ユアガオ)
月の美しさと月夜の景色を描く曲である。
海の果てから月が上がるように、曲はゆっくりと静かに始まる。そして、歌のようなメロデイ-がしなやかに舞う天女の姿を映し出す。更に、メロデイ-が自由に変奏され、スピードは速くなり、リズムも変化に富み、にぎやかで熱烈な場面にへ移り変わっていく。曲は段々と広がり、広々とした空を月がゆっくりと西へ沈み、人間と自然が一体となった様子を表わして終わる。

⑨漁舟唱晩 (ユイチョウチャ-ウ)
山東省の古い曲「帰去来」をもとにした筝の名曲。日暮れの時、豊漁で家路につく水面の小舟を、流麗なご音階メロディーディで表現している。
⑩梅花三弄
中国の晋、隋代以来の笛曲。また、古筝の曲でもあるが、近年古筝独奏ように編曲され、代表的な作品となった。紀元四世紀の晋代の資料の中にも、既に幾つもの記載を見いだすことができる。明るい曲調で、起伏に富んだ旋律は梅の花の高貴な香りと優雅な姿が、3つの異なる奏法とテンポで表現される。
⑪洞庭新歌
洞庭とは中国の洞庭湖です。曲は洞庭湖畔で生活している人々が“対唱”しているイメ-ジから展開しています。ここの人々が豊かで幸福な生活をしていることを表現しています。

⑫渕陽河                       中国湖南省民謡
張燕編曲
渕陽河は湖南省の民謡にある有名な河です。渕陽河がもともと湖南省の民謡です。流暢なメロデイ-と活発なリズムで、大自然恵みを生み、幸せに生活している人々の気持ちを表現しています。
⑬山丹丹花開紅艶艶
この曲は中国陜北地方民謡を編曲したものです。トレモロの強弱を表現するのが、この曲の難しいところです。この曲は5部からできています、第1部は序章です。トレモロはクレワシュンドで、音をだんだん強くしていきます。中国の黄土高原の風景を遠いところから近く映すことを表します。第2部は抒情部です。第3部はにぎやかで、ニ長調からイ長調への転調がある、華やかなイメ-ジがします。そして元のニ長調に戻って、この曲の最高潮になります。第4部はゆったりでしたリズムで、親しみ易く流暢です。第5部は強い和音で終わります。
⑭戦台風
アメリカ在住の現代中国古筝の第一人者、王昌元氏作曲による現代筝曲。王昌元氏は、本曲を創作するにあたり、上海港での厳しい重労働生活を体験した自らの苦しい経験をもとに、大自然の猛威である台風と戦う労働者たちの強靭な精神を、古筝に託してうたいあげることを意図していた。曲は、5つの部分で構成され、上陸した激しい台風の描写を、素晴らしい躍動感と戦憟を高度な演秦技法で表現している。D調・2/4
「陽関三畳」:この作品は唐の時代の詩人王維の「送元二之安西」と言う詩によって書かれた琴歌です。素朴な旋律に情熱があふれて作者王維の遠方に旅出る友人に対しての恋しい心情を細かく描いています。

15綉金匾
こん曲は中国の陜西筝曲です。陜北民謡から編曲したもので、これは陜西筝派の代表曲でその豊富で、独特な風格を持っています。この曲は三部分からなります。第1部は主旋律の楽章、第2部は変奏楽章、第3章は重複抒情楽章です。
⑯漢宮秋月
昔宮殿の中に勤めていた宮女は月を見て、故郷のことを思う曲です。
⑰紡織忙
女性は布を織る姿を再現する曲です。
⑱茉莉芬芳
中国の南方(長江南)いわゆる江南地方に大変有名な現代民謡“茉莉花”(ジャスミの花)に中国作曲第一人者何占豪先生により作曲された古筝演奏曲である。なめらかな美しい曲調で、茉莉という花の淡雅な様子やほのかな香りで、美しい茉莉花を摘もうかどうかと迷う少女の心を表現している。
⑲臨安遺恨
臨安は中国の宋代の都だ。宋代、北の脅威・金国から祖国を救わんと、ひとりの若者が立ち上がった。彼は岳飛だ。岳飛は「精忠報国」抗金の名将で、中国史上最高の英雄だ、しかし、岳飛は北宗との交戦中に泰桧の陰謀で 投獄され毒殺されました。この曲は岳飛の人生を題材にして作った、古筝の大曲だ。
⑳建昌月
「建昌」は中国四川涼山イ族西昌市の古称。この曲は1981年作られ、満月に照らした建昌の美しい景色を描きます。
21秦桑曲
[燕草如碧丝秦桑低绿枝, 当君怀归日, 是妾断肠时]、これは唐の詩人の李白の名詩《春》の中の佳句です。曲は”秦桑”を題にして、陝西の碗碗腔(劇)の音調を採用して、妙齢の女の子は、遠く離れた親族を思う気持ちを描写しました
22春到ラサ
ラサは中国のチベット高原にある、ここに中国のチベット族の人が住んでいるは、この曲は厳寒を超えたラサは、ようやく春を迎え、人々はにぎやかに春祭りを行い、春を迎えることを表現します。


3、よくある質問
①古筝はなぜ“秦筝”とも言う?
答え:「筝」の単語は最初司馬迁の「史記」に現れ、紀元前237年、秦皇は本国ではない人である客卿を追い出すと命令した。李斯は始皇帝にこの命令を収まることを話した。彼は「諫逐客書」の中に「夫擊瓮叩缶、彈箏搏髀1而歌呼嗚嗚快耳者,真秦之聲也。」これは打楽器を打って、筝を演奏して、ダンスをして、歌を歌う、これは秦国の音楽である。この形式の音楽は海外から入ってきたが、秦はそれを吸収した。秦{今中国の陜西、甘粛}建成と文献記載する前に、筝はもう流行していたことを証明した。いまから2800年間の歴史がある。だから、筝は秦の時代にすでに流行していた、歴史では、また「秦筝」とも言う。
① 古筝の弦の数の変更は?
答え:東漢の応劭の「風俗通義」の中で「筝、五弦築身也。」と書いた。これで、最初の筝は五弦。三国時代、古筝は竹製共鳴体から木製に変更した、筝の幅と長さは大きくなったため、十二弦の筝が現れた{三国誌・魏書}。その後、800年あまりを経過し、隋朝では一本増えて、十三弦の筝が現れ。唐代の300年あまりの中に、筝は非常に幅広く流行していた。十二弦と十三弦長い間共存していた、それぞれは雅俗音楽に使われ。唐代の詩の中にたくさん記入あり。宋代は唐代の筝の技術を基づき、十三弦の筝を使った。元代になると、民間に十四弦の筝が現れ、元頤英は「五・山璞稿」の中に、「錦筝弾尽鴛鴦曲、都在秋風十四弦」と書いた。歴史ではこの段階に十二弦、十三弦筝民間に共存していた。そして、明の時代は十五弦の筝が現れ、明の朱載錥は「明鄭世子瑟譜」中に「今官挙十五弦、而後世多用十四弦者」と書いた。清代筝は歴代の筝の芸術形式を基づき、清の末期に、十六弦の筝が現れ。20世紀の初め以来、十八弦、十九弦、二十一弦、二十三弦、二十九弦など多種多様の古筝が現れた。現在、もっとも流行しているのは二十一弦、この古筝の様式は、上海民族楽器一厂20世紀60年代初め頃に創立、中国全国筝の製造での標準様式になった。

② 唐代の13弦古筝と日本の13弦古筝はどんな関係があるか?
答え:中国唐の時代、日本の奈良時代、紀元7世紀古筝は日本に伝わってきた。日本はたくさんの遣唐使を中国長安{今の西安}に、中国文化、音楽の勉強に派遣した、その時、十三弦の筝も入ってきた。その後の千年あまり、筝は日本の邦楽の主な楽器となり、現代日本の筝は唐の時代の筝の製造方法を使い。大正時代以後、日本の筝も新たな変更あり、中には現代曲に相応しい二十弦の筝がある。
③ 現代中国の古筝はどんな流派があるか?
答え:中国の古筝の流派は各地域の文化の基づきで地方の特色溢れる演奏風がある。中には山東派、河南派、潮州派、客家派、武林派は有名だ。山東派の代表曲は「漢宮秋月」、「鳳翔歌」、「鴻雁措書」など、河南派の代表曲は「天下大同」、「閨怨」、「高山流水」など、潮州派の代表曲は「寒鴉戯水」、「粉紅蓮」、「柳春娘」など、客家派の代表曲は「出水蓮」、「蕉窓夜語」、「崖山哀」など、武林派は「四合如意」、「高山流水」、「漁舟唱晩」などがある。
④ 古筝と韓国の伽耶琴の関係?
答え:古筝は紀元500年ごろの南北朝時代、中国東近隣の朝鮮国に入った。当時、古筝の形を取り入れ、韓国の民族の特徴を加え、漢族民族風の伽耶琴を製造されて、代々に伝え、今に至る。伽耶琴最大な特徴は琴の尾は羊角の形の板があり、琴柱は人の形になり、十二弦か十三弦があり、五音階で配列し、民間は弾唱の形式が主にとしてる。
⑤ 古筝の爪はいつ現れた?
答え:「旧唐書・音楽誌」の中には「杂乐筝,并十有二弦;他乐皆十有三弦,……,清乐筝用骨爪,长寸余,以代指”。陳陽の「楽書」の中には:「唐唯清乐筝十二弦,弹之以鹿骨爪,长寸余,代指,他皆十三弦。」これらの史料による、唐代の前古筝はもう爪があることがわかった。

⑥古筝の琴柱はどのように置けばいいですか?
 
答え:
綺麗な音色を出すためには琴柱を正しい位置に置くことが大切です。
また、間違った位置に置くと、弦が切れやすくなります。
 
琴柱を置く位置には、だいたいの基準があります。
 
下の細い弦から数えて1弦、2弦、3弦。。。。。21弦と呼びますが、
1弦の琴柱を置く位置は、古筝の頭の柱(前岳山と言います)から約16cm、
8弦は32cm、13弦は49cm、21弦は85cm距離があります。
まず、上記の琴柱を置いてから、残りの琴柱を均等に配置します。
上の太い弦に行くほど、前岳山から琴柱までの距離は長くなります。
 
 

4、古筝関係サイト:
①在日古筝奏者謝 雪梅;http://www.xiexuemei.com
②在日古筝奏者伍 芳;http://www.moz.co.jp/wu-fang/
③在日古筝奏者姜 小青;http://homepage3.nifty.com/jiang/
④在中古筝奏者呉莉:http://www.wulimusic.com/
⑤在中古筝奏者吉緯:http://www.jiwei.org/zh-CN/chinese/1.php
⑥在中古筝奏者筝痴:http://cyf.huain.com/
① 古筝曲視聴:http://www.guqu.net/musicsort/181_1.htm
② 古筝演奏ビデオ:http://tv.huain.com/index.php?type=3
③ 民族楽器独奏総合視聴版:http://list.mp3.baidu.com/list/minyue.html
④ 古筝楽譜ダンロード:http://www.huain.com/musicbook/index.php?book_type=6
⑤ 華恩網―古筝曲視聴:http://music.huain.com/list.php?type=4